三原城跡
中世の在地豪族三原氏の居城跡。東西110メートル、南北150メートルの範囲に外堀・内堀を構え、角矢倉・物見櫓等を設けた平城であった。天正14(1586)年当主三原紹心が筑前岩屋城で討ち死にし、この城も役割を終わったとされる。外堀・内堀は今でもはっきりと残っており、平城としては貴重である。
場所 | 福岡県三井郡大刀洗町本郷 |
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中世の在地豪族三原氏の居城跡。東西110メートル、南北150メートルの範囲に外堀・内堀を構え、角矢倉・物見櫓等を設けた平城であった。天正14(1586)年当主三原紹心が筑前岩屋城で討ち死にし、この城も役割を終わったとされる。外堀・内堀は今でもはっきりと残っており、平城としては貴重である。
場所 | 福岡県三井郡大刀洗町本郷 |
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